大洋のゆくえ

日々の出来事、思ったこと、面白いを考える

会社の先輩が亡くなって、会社で働くことをを考えた。

会社の先輩が亡くなった。

それも40代半ばの働きざかりで。

 

 

前から体調不良とは聞いていたが、他支社に転勤されてからは具合が分からない状況で、久しぶりに名前を聞いたのが訃報だった。苗字だけ聞いても最初は先輩の事だと思わなくて、私の知らない人と思って流していた。先輩だと分かった時は、声をあげて驚いた。

 

 

告別式では学生服を着た息子さんが、遺影を掲げて健気に立っていた。献花の際には、先輩の年老いたご両親が泣きながら花を手向けていた。

私はお父さんを失った息子の気持ちも、子供を残していく先輩の気持ちも、息子に先立たれたご両親の気持ちも分かったような気持ちになって泣けて仕方がない。

遺影の先輩は生前の元気な頃の笑った写真で、ホームページにも載っている爽やかな笑顔で写ってて、それがより悲しい気持ちになってしまう。

告別式が終わった後ちょうどお昼時だったけど、食事に行くでも無く解散した。

 

 

翌日、仕事に行く。社内の掲示板を立ち上げたら人事発令があった。

添付されている文書を開くと、先輩の名前の横に「死亡退職」とだけ書いてあった。

亡くなったから当然のことだけど、その発令を目にした時、すごく気持ちが沈んだ。会社員として働いて、楽しいことや辛いこと、もろもろまとめて抱えて働いて、体を壊して亡くなったら死亡退職は寂しすぎると思う。当然、業務は滞りなく進み普段と同じ、何事もなかったように日常はすぎる。いてもいなくても一緒じゃないか、と思ったりした。何がチームだ、何が連帯感だと。

 

結局会社は働く場所であって、何かあったからと言って守ってくれる事はない。自分のことは自分で守る必要があるし、あんまり会社に期待しない方がいい。今勤めているこの会社のことは好きだけど、そこはわきまえておこうと感じた出来事でした。

 

 

女性の初産年齢を調べていたら色々と驚いた話

フェイスブックに中学の同級生女子の長男が小学校を卒業したエントリーが流れてきた。

中学時代を過ごした90年代後半、小室哲也がヒットチャートを席巻してた時代、まさかのくるぶし丈スカートに開襟シャツ、赤い口紅って服装で登校していたいわゆるスケバンだった彼女らしいと思って「いいね」を押した。
 
けどよく考えたら普通だ。
今年35歳になる訳だから、逆算したら23歳で産んだ事になる。
23歳で初出産とか、四大出ててもありえる話。
偏見はあかんなと思った
 
私が30歳で結婚ー長男誕生って流れだったから、20代前半で出産って早いなって思ってしまうけど、どうなんだろう。そう思って厚生労働省の人口動態統計って資料を見てみたら、第一子を出産した時の母親の年齢の平均が2012年で30.6歳、1980年が26.4歳だった。(ちなみに1950年で24.4歳)それを踏まえたら冒頭の同級生に感じた出産早いなって感覚は間違いでもなさそう。
統計では無く、一般的な感覚ではどうかと思って磯野家を調べてみた。国民的な家族だろうし。
あくまでもTV版の設定によると、
 
波平54歳
フネ52歳(原作48歳)
マスオ28歳(原作32歳)
サザエ24歳(原作27歳)
タラオ3歳
 
だった。思いのほか皆若いとは思うけど、朝日新聞での連載開始が1946年で、TV放送開始が1969年ってあるから、当時にしてみたら違和感の無いような気もする。てかマスオさん若いな。アナゴさんとかマスオさんの同年代と考えたら20代の可能性もある。マジっすか、年下じゃないですか。
 
ちなみにドラえもんが1969年連載開始で、のび太のパパ「のび助」は原作では36歳、ママ「玉子」は38歳(32歳説もあるみたい)、のび太が小学4年生で10歳としたら玉子は28歳でのび太を出産している。当時の平均よりは遅い。
 
クレヨンしんちゃんが1990年連載開始、野原ひろしが35歳、みさえが29歳、しんのすけが5歳だから、みさえ24歳にてしんのすけ出産。当時の平均より早い。
このあたりは、当時の社会情勢とか、作者の環境とか、もっとちゃんと調べたら何か分かりそう。
(それにしても、ひろし35歳で首都圏に庭付き一戸建てとかかっこ良すぎるわ。)
 
ちなみにぐっと時代をさかのぼったら織田信長が14歳の時、妻濃姫が14歳で嫁入。豊臣秀吉が25歳の時、妻おねは13歳で嫁入。当時の一般庶民の記録は分からないけど、おおよそ近いと考えたら10代半ばで結婚、後半で初産を迎える事になる。子供も同じサイクルで結婚ー出産を行ったとしたら、40歳で孫が出来て60歳ではひ孫が出来る。こう考えると、当時の還暦って今と比べるとより重みがあったんだろうなと思う。
 
昔話のおじいさんとおばあさんとか、普通に40代くらいかもしれないわけで、むしろその可能性の方が高いわけで35歳を迎える私は、この事実にアナゴさんが年下かもしれない事以上に驚いている。
 
(おしまい)
 

優しさついて

職場で後輩のために、ちょっと普段はしないレベルで資料を作った。

このままだと上手くいかないと思ったし、どこまで分かっているかも分からなかったから、何も分かってないことを前提に資料をまとめて渡した。
 
その後輩からとても感謝されて、ちょっと嬉しい自分がいる。役に立ったならよかった。作った甲斐があったというものですよ。そしてこんな時に思うけど、やっぱり私は単純だけど、人に喜んでもらいたくて仕事してるんだなと思う。自分の仕事で喜んでくれる人がいると嬉しい。
 
昔は違った。こんな風に考えたりしなかった。
感謝するより金をくれ、くらいの事を思ってた。当然、仕事は面白くない。
今はそんなに稼いでいる訳じゃないけど、生活に不自由はしなくなった。
満たされたから優しく出来るのか、優しくしたから満たされたのかは分からないけど、今の心境の方が穏やかに暮らせる。
 
・ ・ ・
 
人に喜ばれる事をする。
そしたらたまに優しいと言われる時がある。今日の事を受けて、先輩からは「お前いいやつだな」と言われたけど、その時に思った事がある。
 
「いいやつ」って「優しい」って事だと思うけど、「優しい」ってすごく聞こえの良い言葉である反面、使い方が難しいと言うか、用法・用量に注意って所がある。だから注意して受け取らないといけないし、使う時も慎重にならないといけない。
 
昔からスポーツが苦手、面白い事を言ってクラス中を爆笑させるような人気者でも無かった私は、まじめだけが取り柄だった。だから誰よりも優しくあろうと思った。
 
人に優しくして、ほめてもらう事に活路を見いだしていた。
当時を振り返って幼いと思うのは、自分が善人だから相手も善人だと思ってた事で、人の優しさにつけ込んで利用したりする様な人も中にはいるって事を当時は知らなかった事だと思う。
 
中学の時、同じクラスのF君に頼まれて、物を取りにいったりする事があった。結構な頻度で頼まれて、ほいほい引き受けたりしてたけど、あるとき自分でも「これってまさか・・・」と思った時期に、先生からいじめられてないか、大丈夫か?と話をされた。
 
人から見たら、自分はいじめられている様に見えてた事に驚いた。(あくまでも推測だけど)F君も私をパシリとして利用してたのかと感じた時はものすごい衝撃を受けたし、若干人間不信になった。人からの頼まれ事に対して、これは「優しい」からするのか、単にパシリなだけなのか、自分の中で判断が付かなくなった。それくらい衝撃だった。
 
いま考えれれば、F君も先生も悪くない。どちらも悪気があったとは思わない。原因は私にある。
当時の私の優しさは、人からどう思われるかが基準であった。いい人と思われたいがための優しさだから、本当の意味で優しくなかったと思う。
 
今はまわりにいい人と思われたいとか考えなくなった。
やりたい様にするし、別に気づかれなくても構わない。自己完結してるから非常に気が楽。ある種の自己満足だけど、そんな事は分かった上でやってるから気にしない。
昔と違うのは、自分を客観視するために「人にどう思われてるか」は考えるけど、「どう思われたいか」は考えなくなった事くらい。自分のやりたい様にやってみたら、毎日がすごく楽になって嬉しい。優しくなれるくらい、強くなったのかもしれない。ただ相手は分からないので、わたしは今も人に対して「優しい」ですねとは言わない。
 
 
軸が自分にあるか、他人にあるかで「優しさ」も変わってくるよな、と思った話でした。
 

映画ドラえもん「日本誕生」を見に行った話

日曜日、エキスポシティに家族で劇場版ドラえもん「新、のび太の日本誕生」を見に行った。

 

日本誕生は小学校の時に見た以来だったから、とても楽しみにしてた。割と冗談抜きで週末しんどい状況で、仕事の気力はドラえもんで持っていたと言っても過言では無い。

ただ記憶の中の日本誕生では、時空乱流のくだりとか、のび太の遭難のくだりとか怖かった印象(死を意識したから)があったから大丈夫かなと、若干の不安もあった。甘くなってないかなと。ある程度原作通りにいって欲しいなとか思ってたけど、取り越し苦労でした。とても面白かった。子供達も楽しめた様子。

 

懐かしさってのも大きいとは思うけど、十分自分も楽しめた。

登場人物の台詞が先に出るくらい、思ってたより記憶に残っていて驚いたけど、見方はやっぱり変わってて、年を取った事をひしひしと感じさせられる。家出をして自分たちの自由にしたいのび太達より、宿題しなさいとか小言を言ってしまうのび太のママに共感してしまう。作ってる側も私みたいなドラえもん世代の親を対象にしているような気もする。

 

のび太のためと思って厳しく叱ってしまうママの気持ちとか、家出したのび太を心配するママの演技とか良かった。子供との接し方で難しいと思ったりする事は多いから、ママに感情移入してしまう。現実的に自分たちの楽園をつくるとか、夢みたいな事は言ってられないよなぁと思ったけど、そんな事を考えたりする自分もどうかと思った。

 

ラストは記憶とは異なってたけど良かったです。

秘密道具に頼らずに、みんなで力を合わせて頑張った結果、ギガゾンビに一矢を報いた所は良かった。原作ではタイムパトロールありきだったと思うから。

 

それにしても久しぶりの劇場版ドラえもんは面白かった。

ドラえもんは大正義だ。

 

私が劇場版ドラえもんを始めてみたのは「のび太の鉄人兵団」だった。

たしか幼稚園に入る前。幼稚園生のお兄ちゃんとおばあちゃんと見に行った。

映画を見る前、駅ビルの喫茶店でケーキを食べた事だけ覚えてる。

たぶん子供達も、今回みた劇場版の内容とかは忘れてしまうと思うけど、何となく楽しかった事は覚えておいてほしいな、と思った。

 

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ドラえもんとは全く関係ないけど、エキスポシティにある映画館の前の広場。

やたらと寝そべって自撮りする人がいてびっくりした。流行ってるんかな?とか思ったけど、なんでここで?って疑問の方が大きかったです。不思議。

 

「だがしかし」と読まず嫌いのはなし

「だがしかし」

気になってたけど、めでたく読めた。近所のツタヤがブックレンタルを始めてて、そこで借りた。
1巻だけしか読んでないけど面白かった。
 
 
ボケとツッコミのテンポが良い。
ほたるさんが可愛い。
話題が駄菓子だから、エピソード毎に共感できる部分がある。懐かしいな、と思いながら読んだ。
 
 
読んでる途中でふと思った。
なんかうすた京介っぽいなと思ってしまった。
ツッコミの間の取り方とか、ゴゴゴゴ・・・!!!って音をバックに登場人物が目を光らせたりする所とか、効果音の書き方とか、全体の雰囲気からうすた京介っぽさを感じてしまった。
 
 
そして同時に少し怖くなった。
あれ?俺なんか視野狭過ぎね?頭固くねぇ?って。
 
 
思えば、読まず嫌いがひどい傾向は昔からあった。「ジャンプ」以外は読まないとか、異能力バトルはジョジョのパクリとか、バスケ漫画スラムダンクしか認めないとか、変なプライドを持ってた時期があった。
 
 
世界が狭いぜ。
ジャンプ以外でも面白い漫画はいっぱいあったし、異能力バトルもジョジョ以外認めなかったら最近の漫画はどれも読めない。もしもジョジョが最高と言うのなら、他の漫画も色々と読んでからじゃないと比べられないし判断出来ない。変な話だけど、駄作でもたくさん読むからこそ傑作を見抜く目を持てるんだと思う。
 
 
「だがしかし」にしても、もしもブログとかで「うすたっぽい」って意見を見たとしたら読んでいない可能性もある訳で、それって凄くもったいない。重大な機会損失ですよ。
 
 
思い込みとか視野を狭くするし、偏見を生む。
思い込みとか捨てて、純粋に楽しめばいいのにー自分。それは漫画に限らず音楽や映画や小説に関しても同じ。(そう言えば昔、J-POPは聞かないとか言ってたなー)
 
 
狭い世界の中で分かったような事を言わないで素直に楽しめよ、と思った話でした。

阪神タイガースのオープン戦に行った話

先日の話。

たけの幼稚園のお誕生日会にトラッキーがやって来て、お誕生日を迎えたお友達をサプライズで祝ってくれた。土地柄か阪神ファンの人が多いようで、それはそれは盛り上がったそうな。

たけは見事にトラッキー大好き少年になった。そしてトラッキーは帰り際に優待券を渡してくれたので、折角だからと日曜日に甲子園に行ってきた。阪神対巨人のオープン戦

 

大阪に来て10年以上は経つけれど、何気に初甲子園。

まず雰囲気が異常。阪神ファンの方々がキャラが立ち過ぎてて面白い。虎の全身タイツ着た人とかおる。っていうかガラ悪いぞ。なんか特攻服を着た人が多いし、「巨人が嫌いや!」ってワッペンを貼ってたりする。何があったんだ。カープファンに比べて闘争心がすごい。対巨人だからかな、大阪らしくて気分が盛り上がる。

 

試合が始まってからも、その雰囲気は変わらない。ちょうど後ろのおっちゃん二人が根っからの阪神ファンのようで、応援団の演奏に合わせて「くたばれジャイアンツ〜!」と歌っている。それが公式なのか、替え歌なのかは分からない。あんまりくたばれ、くたばれ言うから笑ってしまった。うちの子にも愛想良く話しかけてくれたりするから、基本的には良い人には違いないけど、応援は過激。そしてヤジがいちいち面白い。ただ知識はすごいから、ヤジにも深みがあって、この人は広島の新井の弟さんかぁとか、この人は大学時代に記録を作ったんだなぁとか、聞いてたらより試合が楽しめた。

 

正直、わたしは野球に全く詳しくない。かろうじてルールが分かる程度。わたしの持っている野球知識は、ドカベンで学んだ「後ろに飛ぶファールはタイミングが合っている」の1点のみだから、戦術とかセオリー的な事は分からない。だから選手の身体能力に感動したり、球場の雰囲気を楽しんだりするくらいしか出来ない。ヒットが出れば嬉しいし、アウトになったら残念がる。だからリアクションの大きい阪神ファンの濃い環境で観戦したオープン戦は楽しかった。次はカープ戦の時に行きたい。かなり肩身が狭いかもしれないけど。

 

反省点としては、もっと飲み物とかお菓子とか用意していけば良かった。子供にせがまれて焼き鳥買ったけど、1本350円とかして声が出そうになった。帰りしなららぽーとの焼き鳥やで10本300円とか見て、こっちで買っとけば良かったーと後悔した。あと次は車じゃなくて、電車で来る事にする。今回ビール飲めなかったし。

 

久しぶりの球場は楽しかった。やっぱり場の雰囲気に触れるっていいよなと思った一日でした。

 

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意識が高い事は悪いことじゃない。

「意識が高い系」という言葉がある。

始めて聞いたのはおよそ半年前か、その時は単純に褒め言葉かと思っていた。

 

それから何回か目にする事が増えて、「意識高い系」って言葉はどちらかと言えば小馬鹿にしたニュアンスを含んだ言葉だという事を知った。そして何となく引っかかっていた。

 

意識高い系とは、意識の高い言動をするが実が伴っていない人の事を言うらしい。

個人的には、社会に出たての一年生とか、まだ何者でもないんだったら意識くらい高くあっても良いんじゃないかと思うけど、どうなんでしょ。もちろん行動が伴っての話だけど。

会社の近くのスタバでも、朝活してる人を見たりするけど、正直立派だなと思う。こんな人達は「意識高い」系になるのだろうか。実が伴っているから良いのか。

そのあたりの判定は、個人的に凄く難しい。

 

自身を振り返ったら、新卒で入社した会社に在籍していた3年間は、意識だけが高かったと思う。会社自体がやりがい搾取のブラック企業然としたところだったのは大きいけど、自己啓発とか大好きだったし、横文字とか大好物だった。日常会話で「コミットメント」とか「アウトプット」とか普通に使っていたし、社長や先輩の様になりたいと思っていた。ちょっと小難しい本を読んだり、夢や目標について話し合ったりすると自分が成長していく気がして嬉しかった。そうする事で自意識だけが肥大化していって、実力の伴わない痛い人になっていった訳ですが、その過程で(いま思えば)面白い変化があった。

 

自分なりに必死で上に進もうともがく、そうしていくと廻りの努力していないように思える人たちの事が非常に下らなく思えてくる。電車でスマホいじってたり、寝てたりする人が可哀想に思えてくる。疲れ切ってよれよれのお父さん達を見ては、目が死んでるなぁとか、あいつらみたいにならないぞ、とか思って見下したりするようになる。友達に対して、もっと頑張れよと言ったりする。

あぁ最低ですね。

 

意識高い系の人に感じるモヤモヤとした印象は、彼らの言動に昔の自分のような嫌な面を垣間みてしまうからだと思う。

意識高い系だった私は、自分と他人を比べて優越感に浸っていた。だけど、本当に意識の高い人は他人では無く、あるべき理想の自分と現状の自分を比べて努力を重ねる。他人と比べないから、人に対して何かと言及したりしない。そして理想に向かって黙って努力するから結果が出る。

 

わたしは過程を飛ばして、結果を求めたから痛々しくなったんだと思う。そして間違った方向に努力していた。書いてて非常に情けないけど、事実だから仕方がない。

今は地道な努力を重ねる様になった。華やかな表舞台も良いけれど、自分には裏方が向いている。意識は高くも無いけど、低くもない。理想に向かって少しづつ前進したいと思っている。意識が低いと言われても、そうですねと答える気がする。逆に「意識高い系(笑)」と馬鹿にしたりもしない。当人はまじめに頑張っているのだろうし、色んな考え方・生き方があって良いと思う様になったからだ。

 

意識が高い事は悪いことじゃない。ただ人に迷惑を掛けてはいけない。

 

今日は「意識高い」をよく見かけたので、それに関して思った事を書きました。

 

(おわり)