ブラスバンドの演奏会を聞きにいった話
先日、会社の先輩が参加しているブラスバンドの演奏会が開かれるという事で聞きにいきました。その時の話。
区民センターの大ホールにて行われた演奏会、メンバーも一般人で聴講者も素人という事でミュージカルを中心に分かりやすい曲が多くて楽しめました。
パンフレットの曲目紹介をみると、、、
テイクオフ
パガニーニの主題による狂詩曲
ライオンキング
となっています。
正直、どれもまともに聞いた事がない・・・
ただ良かったのが、それぞれの曲を演奏する前に、司会の方が曲を紹介してくれたから非常に分かりやすかった。
ガリバー旅行記の第3パートだったと思うけど、空飛ぶ島ラピュータは言われた通りにふわふわとした印象を受けたし、小人の国、巨人の国はそれぞれ小人や巨人が動くところがイメージ出来て面白かった。
スポーツ観戦にしてもそうだけど、初心者相手に分かってる人が解説してくれたり、見所を紹介してくれたりしたら敷居も低くなって良いよなって思う。わたしは落語を聞きに寄席に行ったりもするけれど、最初に寄席に入る時は若干緊張したのを思い出した。
クラシックも聞き方が分かれば、わたしでもすんなり聞けるんじゃないかと思った演奏会でした。
個人的に面白かったのが、普段はじっとしてられない子供達が割と大人しく聞いていた事。やっぱり生演奏による臨場感は違うんだなと実感。
でもさすがに最後の方は飽きてきてたけど、オペラ座の怪人のシャンデリアが落ちるシーンでビクってなってた。これは絶対に驚くだろうと予想してたので、予想通りの反応で笑いそうになりました。子供は分かりやすくてかわいい。
音楽でも演劇でも構わないけど、実際に生の演奏やお芝居に触れないと駄目だと思った。子供に限らず、わたし自身に言える話。TVで見るならまだしも、ネットで概要を確認して満足する事もあるので、これは本当に気をつけたいと思った話でした。
おわり
好きだと公言すること
数年前のはなし。
なんばで今のおくさんになる人と待ち合わせていた。
ちょうど戎橋のところにH&Mが出店した頃で、ミナミはおしゃれな若者でひしめいておりツタヤの前で待ちぼうけていた私は、通りすがる人たちを眺めながら若干の気まずさを感じ始めていて、正直ちょっと居心地が悪かった。まわりは皆大学生くらいの若者だらけで、若干どころでなく非常に場違いかもしれないなと思い始めた時、梅田方面からやってきたある集団から目が離せなくなった。
私と同年代くらいの男性4人組、真夏にも関わらず全身黒尽くめの服装に長髪、眼鏡。靴から鞄まで真っ黒。皆一様に女の子が描かれたバカでかいアニメの紙袋を肩に掛けて颯爽と難波駅に向かって歩いていく。堂々としててかっこよかった。
場違いかな?とか思ってた私がなんてちっぽけなんだろうと思わずにいられないくらい堂々とロリ系アニメ(しかもちょっとHな感じでした。)が大好きです!と宣言しながら歩いていったその姿に正直しびれた。後からやってきた奥さんには全否定されたけど。
TVは団らんになるのか
小さい時からTVが好きで、四六時中TVばかり見ている子でした。
けど最近、あまりTVを見なくなってきた。子供が生まれたってのも大きいけど、その事に関して思うことをいくつか。
今と昔とを比べてみると、好きな番組が変わってきました。
今良く見るTV番組
鉄腕ダッシュ世界の果てまでイッテQデザインあノージーのひらめき工房スイッチインタビュー達人知恵泉23550655
パレートの法則とロジカルさんの思い出
今日、こんなニュースを見た。
働かない働きアリ:集団存続に必要 働きアリだけは滅びる - 毎日新聞
働き蟻の内2割がサボってるかと思われてたけど、そんな事は無かった話。
働き蟻は皆まじめに働いているかと思われているが、そうではない。群れに貢献する働き蟻が2割、貢献もしないが悪影響も与えない蟻が6割、群れに悪影響を与える働かない蟻が残りの2割。それで群れは運営されている。その群れから、働かない蟻だけを選り分けてみる。すると、その中から働く蟻、普通の蟻、働かない蟻と2:6:2に分かれる。働く蟻を分けても同じ結果になる。これらを人間に置き換えると分かる事がある。何か?働かない蟻も、環境を変えたら働き蟻に変わる事が出来る。だから組織に貢献する人物になるか、悪影響を与える人物になるかは環境によると言える。元々人間に備わっている能力の差は小さい。意識を変えて行動に移せば、環境は変わる。誰でも上位2割に慣れる事が出来る。これをパレートの法則と言う。
子供の成長と自身の生き方
子供が生まれて、彼らの成長を見守っている時間が増えた。
当たり前だけど。
うちの子は良く食べる
「食べたい」が口癖の、よし@2歳
人に伝えるには120%出し切る
自分が思ってるほど、人に自分の気持ちは伝わらない。
自分が思っていることは80%くらいでしか、相手には伝わっていないと思うと丁度いい。だから伝えたいことがあるなら120%以上で相手に伝える様にしないと伝わらない。
その事を営業している時に感じる事があった。
お客様と接する時、自分の思いが伝わらなくて悲しい気持ちになる事がたくさんあった。話し方が悪かったのもあると思ったし、伝え方や営業テクニックを磨かないといけなかったのはもちろんあるけど、それ以前に相手にされていない感がすごくあって、いかに相手にしてもらうかを考えました。(伝える以前に相手にして貰わないと始まらないので。)
その時に思ったのは、わたしは滑舌が悪くて声も低いので、意識して120%の元気さで丁寧に話さないと相手からは相当辛気臭い男に思われただろうな、という事。
そんな辛気臭いやつより明るく元気なやつから話を聞きたいのは人情な訳で、そんなら努めて楽しく仕事しようと決めたらすんなりと結果が出まして、それ以降人前に出る時は廻りからどう見られてるかを考えて行動する様になりました。
多分自分の思ってる自分(理想)と、他人の思ってる自分(現実)は全く違ってて、おそらく現実は理想より低い。理想と現実をぴったりと合わせていきたいと思うなら、伝え方を変えるなり演出方法を変えるなりしないと駄目で、ありのままで良いのよーってのは本当に恵まれたごくごく一部の人に許された生き方なんだろうなって思う。
そんな事を思ったのは、先日わたしが朝礼を行ったから。
決まった内容をこなして最後に挨拶をして終わるんだけど、その時に120%を意識して元気に挨拶して終わらせた。
そうしたら廻りから驚かれて、お前なんやねんーそんな声張れるんやないかーとか言われまして、わたしとしてはいつも元気にやってるつもりだったので、伝え方って大切だよなと改めて思った次第です。
明るい時も暗い時もどっちも自分である事には変わらないけど、自分の状態をまわりの人に正確に伝えたかったら、120%が丁度いい。
おわりー。