大洋のゆくえ

日々の出来事、思ったこと、面白いを考える

優しさついて

職場で後輩のために、ちょっと普段はしないレベルで資料を作った。

このままだと上手くいかないと思ったし、どこまで分かっているかも分からなかったから、何も分かってないことを前提に資料をまとめて渡した。
 
その後輩からとても感謝されて、ちょっと嬉しい自分がいる。役に立ったならよかった。作った甲斐があったというものですよ。そしてこんな時に思うけど、やっぱり私は単純だけど、人に喜んでもらいたくて仕事してるんだなと思う。自分の仕事で喜んでくれる人がいると嬉しい。
 
昔は違った。こんな風に考えたりしなかった。
感謝するより金をくれ、くらいの事を思ってた。当然、仕事は面白くない。
今はそんなに稼いでいる訳じゃないけど、生活に不自由はしなくなった。
満たされたから優しく出来るのか、優しくしたから満たされたのかは分からないけど、今の心境の方が穏やかに暮らせる。
 
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人に喜ばれる事をする。
そしたらたまに優しいと言われる時がある。今日の事を受けて、先輩からは「お前いいやつだな」と言われたけど、その時に思った事がある。
 
「いいやつ」って「優しい」って事だと思うけど、「優しい」ってすごく聞こえの良い言葉である反面、使い方が難しいと言うか、用法・用量に注意って所がある。だから注意して受け取らないといけないし、使う時も慎重にならないといけない。
 
昔からスポーツが苦手、面白い事を言ってクラス中を爆笑させるような人気者でも無かった私は、まじめだけが取り柄だった。だから誰よりも優しくあろうと思った。
 
人に優しくして、ほめてもらう事に活路を見いだしていた。
当時を振り返って幼いと思うのは、自分が善人だから相手も善人だと思ってた事で、人の優しさにつけ込んで利用したりする様な人も中にはいるって事を当時は知らなかった事だと思う。
 
中学の時、同じクラスのF君に頼まれて、物を取りにいったりする事があった。結構な頻度で頼まれて、ほいほい引き受けたりしてたけど、あるとき自分でも「これってまさか・・・」と思った時期に、先生からいじめられてないか、大丈夫か?と話をされた。
 
人から見たら、自分はいじめられている様に見えてた事に驚いた。(あくまでも推測だけど)F君も私をパシリとして利用してたのかと感じた時はものすごい衝撃を受けたし、若干人間不信になった。人からの頼まれ事に対して、これは「優しい」からするのか、単にパシリなだけなのか、自分の中で判断が付かなくなった。それくらい衝撃だった。
 
いま考えれれば、F君も先生も悪くない。どちらも悪気があったとは思わない。原因は私にある。
当時の私の優しさは、人からどう思われるかが基準であった。いい人と思われたいがための優しさだから、本当の意味で優しくなかったと思う。
 
今はまわりにいい人と思われたいとか考えなくなった。
やりたい様にするし、別に気づかれなくても構わない。自己完結してるから非常に気が楽。ある種の自己満足だけど、そんな事は分かった上でやってるから気にしない。
昔と違うのは、自分を客観視するために「人にどう思われてるか」は考えるけど、「どう思われたいか」は考えなくなった事くらい。自分のやりたい様にやってみたら、毎日がすごく楽になって嬉しい。優しくなれるくらい、強くなったのかもしれない。ただ相手は分からないので、わたしは今も人に対して「優しい」ですねとは言わない。
 
 
軸が自分にあるか、他人にあるかで「優しさ」も変わってくるよな、と思った話でした。